「なのだ」の使いどこ

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自分の気持ちや状況を強く断定する「〜なのだ」は、使いににくい、というかどうもしっくりこなかった。

このブログも気がつけば8年近く続けている。更新頻度は多くはないけど、自分なりによく続けていると思う。過去の記事を読み返すと、すっかり忘れている出来事もあったりして、ちょっと得した気分になって楽しい。

でも自分の文章が定まっていないのが気になる。特に最近は、意識的ではないけど、淡々と出来事を綴っていることが多い。改めて見返すと、テンポ良く読めない。記事によっては、小学生の夏休みの絵日記みたいなものもあったりして、もう少し文章を書くのが上手くなりたいと思っていた。

それで誰かのブログやエッセイなどを読む時に、少しだけ、書き方を意識して読むようにしていた。それで気がついたことの一つは、自分の意見や出来事を強めに断定するときに「〜なのだ」という表現を僕はあまりしないということ。

普段から誰かに何か伝える時に、なるべく柔らかい表現にしたいと思っているので、その影響はあると思う。それと「〜なのだ」ってカッコイイようで、そうでないようにも感じていた。バシッと決められたても、流れが止まり、ちょっと上から目線の演説みたいで偉そうに感じていた。なんだかガンダムに出てくるギレン・ザビのよう。それと、どうしてもバカボンのパパが「〜なのだ」と言っている姿を連想してしまう。子供の頃観たアニメの影響が強い・・・。子供が観るものって大切ですね。

先日、ある方のエッセイを読んでいて「〜なのだ」が出てきた。それが流暢で、テンポ良く、バカボンパパを連想しないほどカッコイイ。僕もこの方みたいにかっこ良く「〜なのだ」を使えるぐらい文章を書くのが上手になりたい。

でも改めて考えると、バカボンパパの「〜なのだ」は偉そうじゃないからいいですね。

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